東南アジアの歴史 シンガポール編
今回は東南アジアの歴史について
歴史を知る事で、肌の色の違いや文化、人間性、食文化などなどを知る事ができます。
教科書では「○○はこんな特徴がある」と漠然とかかれていますが
「なぜ?」の部分が省かれていることも多いです。
それでは国別で解説していきます‼︎
戦前のシンガポール
李光耀(リークアニユー)初代首相
▶︎在任期間は1959年=1990年とかなり長く勤めている。
▶︎「シンガポールの繁栄を築いた首相」とも言われている。
▶︎開発独裁政治を行う‼︎
▷開発独裁政治=発展途上国が急速の発展や近代化のためにワントップ体制をとることで統一した政治体制を作る事。
▷結果的にこの首相の働きにより、経済成長をし、「国民的英雄」と言われている。
▷独裁政治で成功した数少ない例です。民主主義、普通選挙について考えさせられますね。
経済成長と教育
▶︎現在アジアを引っ張る経済大国です。
▶︎東南アジアで早くから、外資を集めるためにタックスヘブンなどに取り組みました。
▶︎中国の清華大学に次いで、シンガポール国立大学はアジアで2位となっており、教育でも成功を収めてます。
▷ちなみに東京大学はアジアで8位まで下落しました。
イギリス人の渡来
▶︎第二次世界大戦より前のマレー半島の先端(現シンガポール)にイギリス人が渡来し、開発を始めました。
▶︎そのため、この未開の地はイギリス領として認知されることとなる。
▶︎そして、「白人至上主義」社会が形成される。
▶︎李光耀の祖父はその社会の中で、うまく白人と良い関係を作り、ビジネスを成功させて、資産を形成します。祖父の影響を強く受けた李光耀はラッフルズガレッジ(後のシンガポール国立大学)へ入学します。
▷そのためシンガポールでは、マレー語や中国語、英語が飛び交います。
第二次世界大戦勃発
日本との戦争
そんな中、第二次世界大戦が始まりました
▶︎マレー半島には日本軍が侵攻していきました。
▶︎その際には、支配層であるイギリス人達は一目散に逃げていきました。
▶︎シンガポールでは、「日本軍は大した事ない」「間抜けだ」と教えられていたシンガポール人の中で、それまでに形成された「イギリス人への尊敬の念や憧れ」が崩れ始めるきっかけとなった。
▶︎そして、日本の支配下となるも日本軍による処刑や拷問が問題となる。
※過激な表現であるため、詳細は回顧録を参照ください。
▶︎日中戦争から始まった戦争でもあり、中華系シンガポール人に対してはとても厳しく、多くの人々が虐殺されました。
▷東南アジアの人から見た日本軍の話は日本では知る余地もありません...
その後、三年半の間厳しい時代が続いた。
1945年ドイツ、日本の降参により戦争は終了する。
▶︎李光耀は原爆投下については「落とすしかなかっただろう」と話しています。
▷李光耀は英語のラジオを聞き、戦況を把握していたため、日本軍の激烈な戦い方を知っていたこその感想でしょう。
▶︎その後、日本語や中国語を独学で勉強する、闇市でビジネスを行うなど戦後のシンガポールで努力を継続していきます。
戦後のシンガポール
学校の再開
▶︎ラッフルズガレッジの再開が始まります。
▶︎皆が成績トップであろうと噂する中、李光耀は二位の成績となり、一位は同級生の女の子となります。すぐにケンブリッジ大学へ留学することになります。
※後にその女性と李光耀は大学在学中に結婚します。
▶︎そして「シンガポールはイギリスに搾取されていること」に気づきます。
「シンガポールは独立しなくてはならない」
▷李光耀はそう思います
▶︎ケンブリッジ大学からシンガポールに帰ると政治家として活動し、労働者を無償で弁護するなど労働者からの支持を受ける。
▶︎イギリス政府に対して、ストライキを起こす。(暴力を行わず、合法の範囲内でストライキをお行う)
▶︎そんな活動の中でシンガポール人からの絶大な支持を獲得していき、シンガポールでの与党となる。
▷しかし、当時のシンガポールはマレー半島の中の一部であり、国家として認知はされていなかった。
マレーシアとの関係
▶︎マレー半島には、マレー人が多く、中国系やインド人は少なかった。しかし、シンガポールにおいては中華系の人間が多く、また教養もあり経済的に成功していた。
▶︎そのため、マレー半島を統治する国家は「マレー人を優遇する政策」を行います。
「なぜ、民族によって差別がある」
▷そんな中でも李光耀は、資源が乏しいシンガポールが今独立する事は良いことではないと思っていた。
マレーシアと決裂
▶︎追い出される形でシンガポールは独立する。
「シンガポールは終わった」
▶︎資源がなく、人口も少なく、国土も小さいため、シンガポール人やそれ以外の人もそう思った。
シンガポールの独立
シンガポールの躍進
▶︎税制=競争率の向上、外資の獲得のために戦略的に税率を下げた。
▷その、戦略を聞きに来たのが鄧小平であった。
▶︎そんな戦略的な政治により、シンガポールは現在国際金融センターとなる。
▶︎教育=他言語の使用と公用語の多国籍化や移民政策を行う。
▷戦略的な民族の共存を行った。
▶︎教育やビジネスの中では徹底した実力主義を貫いた‼︎
「成功したければ、努力しなさい」
▷外資の獲得を行うと移民の増加により、現地労働者の失業なども考えられる中、徹底して実力主義を行ったことで競争が生まれた。
「税率を下げて、努力した資産の搾取は行わない、だから努力しましょう」
▷李光耀は政策にこのような思いを載せていたのではないでしょうか
現在のシンガポール
どんな国?
▶︎面積 約720平方キロメートル(東京23区と同程度)
▶︎人工 約564万人(うちシンガポール人・永住者は399万人)
▶︎民族 中華系74%,マレー系14%,インド系9%
▶︎言語 国語はマレー語。公用語として英語,中国語,マレー語,タミール語。
▶︎GDP 世界で9位であり、日本より高い水準である。
世界一ビジネスを行いやすい国
▶︎ビジネス環境指標世界1位
▶︎ICT競争力指標世界2位
▶︎低い法人税率などの企業誘致施策
▶︎資金調達や外国人雇用の容易さ
まとめ
▶︎シンガポールは様々に国との争いの中、力強く経済成長を遂げた。
▶︎戦略的な開発独裁により、一代で大きく成長した。
▶︎シンガポールの発展には、初代首相の李光耀の存在が大きかった。
▷自民党政権は戦争についての謝罪を行なっていません。そのことについても回顧録には触れられています。
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